みつきグループ 神門剛氏 インタビュー
神門剛氏のプロフィール
1994年、旧2次試験に合格。1996年、税理士法人山田&パートナーズに入所。2000年、公認会計士登録(登録番号14392)。2005年、みつきグループを創設、代表社員・代表取締役。
会社情報
以前は、公認会計士協会の委員として活動されていたようですね。
はい。「こういう活動もあるよ」と上司から存在を知らされ、日常業務にも大きな支障はなさそうだったので、「少し見聞を広めてみるか」と、東京会の会計委員会に入会しました。97年頃のことです。私が所属していた事務所※は、大手監査法人とは対極のカルチャーで、しかも純血主義。他の事務所の会計士はどんな人達なんだろう、という興味もありました。いまでも、この最初の1歩を踏み出して良かったと思っています。
※税理士法人山田&パートナーズ。会計監査を行う際は優成(現在は太陽)名義を使用。
会計士協会の委員活動は手弁当と思いますが、どんな点が良かったのでしょうか?
最初に入った東京会の会計委員会の委員長は、後に監査法人トーマツの包括代表を務められた國井泰成さん。そこで2年位活動した後、本部の会計制度委員会に移りました。後から聞いた話では、ときに歯に衣着せぬ意見を述べる私を、オブザーバーとして参加されていた協会理事の先生が「若いけど面白い奴がいる」と本部に推薦してくださったようです。会議を予定調和で終わらせず、國井さんにはご迷惑だったかもしれません。
適用指針等の設定主体が会計士協会からASBJに移行する過渡期だったため、実質的には会計士協会が(基準以外の)会計ルールを策定していた頃です。本部は、山田辰已先生などの日本を代表する会計の実務家が、所属法人の枠や利害を超えて、あるべき会計制度を純粋に議論し、実務指針(いまでいう適用指針)やQ&Aを創る場でした。私が最年少で、場違いなところに来てしまったと思いました。
ときは会計ビッグバン。日本の会計を一変させる新基準の導入等が相次ぎ、日本の会計制度は激動の時代でした※。特に、連結会計の激変の影響はすさまじく、それまでの単体思考から、連結を主軸にした経営への転換を迫り、そして実際にそうなったため、振り返ると日本の産業史でも大きな1ページであったと思います。その後の減損会計の導入も、バブル期の土地神話の負の遺産を一掃させるもので、導入時の経営インパクトは甚大でした。
会計はモノサシに過ぎませんが、モノサシの作り方次第で企業経営が変わる、社会が変わる、という会計のダイナミズムに、ルールの創り手として立ち会えたことは幸せでした。
※2000年3月期から連結、キャッシュフロー計算書、税効果、研究開発費。2001年3月期から金融商品、退職給付、外貨建取引。2006年3月期から減損。2007年3月期から企業結合などが導入または大改正された。
一方で、2003年には東京会の税務委員会の委員長もされていますね。
私は、会計も好きなのですが、それ以上に税務が好き、というか性分に合ってまして。本部の会計制度委員会の活動と並行して、東京会の税務委員会にも入会したところ、やがて委員長に祭り上げられてしまった、という経緯です(笑)。こちらの方は、まあ楽しくやらせてもらいました。
大手や中堅の監査法人の会計士のなかには、本意でなく東京会など地方の委員に就任される方がいるようです。でも、その与えられた機会をプラスに転じることができるかどうかは気持ちの持ち方次第と思います。前向きに、真摯に取り組めば、それを評価してくれる方がいて、望外の道が開けることもあると思います。
会計と税務の両面で、そのような会計士協会の活動をされた方は、聞いたことがありません。お仕事にも影響はありましたか?
あったかもしれません。90年代後半から2000年代にかけては、会計ビッグバンと並行して、法人税制や商法も大きな変革がありました。なかでも会社法の制定と組織再編税制の導入は、私の業務に大きな影響がありました。組織再編やM&Aに係る税・会計・法律のすべてに精通している実務家は、当時殆どいませんでしたが、私は意図せずそのポジションをとることができました。会計士協会での活動と日常業務が直結するものではなかったですが、全方位でのプロ意識という点で志向性が一致していたと言えるかもしれません。
現在は、M&A関係の業務も多いと聞きます。公認会計士のキャリアのなかで、M&Aはどのように位置付けるのが良いですか?
M&Aの相談は多いです。M&Aといっても、マッチングそのものを手懸けています。「なぜ公認会計士がM&A仲介をやっているの?」と驚かれるのですが、私自身は違和感がないです。以前は、M&A周辺の税務・会計やデューデリジェンス、価値評価(いわゆるFAS業務)を数多くこなしていたのですが、8年位前から、それらの業務以上に、案件成約というM&A本来のゴールに向けて顧客と共に走る、ということをやっています。
昨今はM&A仲介業が一部でブーム化していますが、殆どのM&A仲介会社は営業マンの集合体です。それ自体は悪いことではないのですが、行儀の悪い自称「M&Aコンサルタント」が多過ぎます。コンサルタントとは名ばかりで、他の無形商材を売るのと同じ感覚で経営者と対峙しますので、問題と思っています。
実は、ここに公認会計士が介在する意味があります。公認会計士として訓練を受けた者であれば備わっている高度な倫理観や高潔さは、法律ないし職業倫理規則で担保されているところで、そういう公認会計士だからこそ、経営者は安心して会社の譲渡を任せられると思うのです。通常の会計士業務の延長線上にない業務になりますので、皆にお奨めできるキャリアではないですが、チャレンジしがいのある業務であることは間違いありません。少なくとも、会計士の本来業務の1つであるFAS業務は、今後も需要が増え続けますので、多くの会計士が参入できる領域と思います。
M&A仲介は、成約直前で理不尽に破談になることもある等、「理屈」だけでは何ともならない、顧客の「情」のウェートが大きい仕事です。私は、キャリアの前半で「理屈」で解決する仕事については私なりに達成感があり、だからかもしれません、より経営者に近いところで、また予定調和の結末が用意されていないM&Aの仕事に魅了されています。
東南アジアにグループ拠点があるようですが、これはどのような狙いでしょうか。こちらも、会計士のキャリアを考える上でアドバイスはありますか?
タイの首都バンコクに現地法人(みつきタイ)があり、日本人(USCPA)とローカルのメンバーが常駐しています。日系企業のタイ進出、進出後の会計税務、ときに撤退について支援しています。これからは中小企業も海外展開が必要と考えたときに、中小企業にとって北米や欧州、インドはハードルが高いし、中国は色々と難しくなりそうだと考え、2013年に進出しました。コロナ禍で新規進出は止まりましたが、徐々に復調しています。
タイに限りませんが、海外進出支援はヨロズ相談であり、撤退支援はM&Aの要素も含みますが、業務の大部分を占めるのは毎期の会計税務であり、これは公認会計士の守備範囲です。会計は基本的に万国共通ですが、税務や労務等はローカル・ルールや商慣習をゼロから学ぶ必要があります。それこそが面白そうだ、と捉えられる方であれば、十分に対応できると思います。
微笑みの国タイの、特に女性は皆ニコニコしています。でも、少しでも給与水準の高い他社があれば悪びれずに転職していきます。そんなカルチャーに日系企業は戸惑ってしまいますが、こういうことも全てひっくるめてその国が好きになれるか、というより耐えられるか、がポイントです。こればっかりは、実際に駐在してみないと分からないですが、心が頑丈な方であれば大丈夫と思います。
バンコク名物(?)の交通渋滞。コロナ期は空いていたのですが…
最後に、会計資格保有者に対してアドバイスがございましたら、ご教示下さい。
このインタビュー企画のなかで冨山和彦さんも仰っていますが、人のせいにしない、というマインドセットは大事と思います。より普遍的には、誠実であること、と換言できるかもしれません。仕事熱心であること、卑怯な振る舞いをしないこと、正直であること、を貫けるかは「人間としての姿勢」や「矜持」の問題です。キャリアアップやキャリアチェンジを図ると、最初は居心地が良くても、やがて必ず想定外・想定以上の困難に直面します。そのときに困難から逃げるのは不誠実と思うわけです。
話は変わりますが、会計士にとっては、相続の仕事も面白いと思います。相続税対策や申告業務です。税理士の先生の独壇場と思われがちですが、公認会計士が業務の1つに加えても、不思議はありません。(逆に会計士だからこその強みもないですが。)相続業務は、家族の財産や想いを次世代に継ぐ尊い仕事ですが、相続税制の改正によるマーケット拡大と税務業界の人手不足が相まって、需要超過の状態は当分解消しそうにありません。このような状況に対応すべく、相続の相談者と、相続に強い全国の専門家を結び付けるサービス(相続の教科書)の運用を始めています。これも私にとっての新たなチャレンジです。