日本公認会計士協会 準会員会

インタビュー
( 会計業界 )

須田 博行氏

なんとかなるじゃん

生年月日  1978年5月2日
出身地   群馬県 高崎市
合格年次  2005年
勤務先   新日本監査法人 監査第一部
趣味・特技 食べる事、ゴルフ、大食い

将来の夢  知らない
座右の銘  なんとかなるじゃん

【略歴】
群馬県、高崎市に生まれる。早稲田大学商学部在学中の大学1年の冬、公認会計士講座に申し込む。専門学校をサークルと考えてから長い受験生活に突入。7年後に無事合格。現在、新日本監査法人にて奮闘中。ちなみに弟は2004年の春から関東財務局に勤めている。

― 「なんにもあせる事はないね。」 「大丈夫っしょ。」、これが彼の口癖である。 このような楽天家であり、さらに天然なキャラ、その一方で計算高いギャグをかませる男、今回、J1の間で人気沸騰中の須田博行氏についてインタビューをとることに成功した。

須田 博行とは

まず、この須田博行という人物が、何故人気があるのか、何故、知名度が高いのか、その人物像を説明したいと思う。
私と須田氏の出会いは、新日本監査法人入社の時であり、まだ半年足らずである。しかし、彼には、多大な笑いと衝撃を与えられた。私が最初、須田氏に驚いたのは、マナー研修の時である。彼の行動はコントそのものであった。
決してふざけていたわけではない、動きそのものが面白いのだ。
言葉で言い表せないことが歯がゆくて仕方ないが、入社2日目の同期一同の緊張感を一気に解いてくれたことを覚えている。
その後の研修は、もちろん同期の人気の的になり、須田氏は常に笑いの中心に立っていた。
彼の人気は会社だけに止まることはなく、補修所でも大人気となった。同じ班には須田氏の母校たる早稲田大学の後輩がたくさんいたのである。したがって、補修所の中では親分的存在となったわけである。

しかし、そんな急上昇中の彼にも第一の落とし穴が待っていた。それは補修所後の飲み会の帰りに起きた。泥酔してしまった彼は電車にカバンを置き忘れて帰宅してしまったのである。カバンの中には携帯電話の他、社内資料、さらに社員証までが入っていたのだ。入社1ヶ月足らずでクビになるのか、社内では噂となり、ざわめいた。しかし、幸運にも後日、駅から連絡が来て、クビは免れた。
そう、彼は幸運をも持ち合わせた男なのである。このような修羅場を彼の楽天的思考で幾度となく乗り越えてきたのである。

怒濤の受験生活
ここから、彼の受験生活を振り返りたいと思う。
彼が公認会計士になることを志したのは、大学1年の冬であった。客観的にみれば、早いスタートであり、幸先が良く思われる。
しかし、申し込みわずか数ヵ月後、専門学校にほぼ行かなくなり、たまに授業に出てみたら全く授業についていけず、彼のモチベーションはゼロに近くなっていった。

1年足らず後、専門学校を変えることを決意。彼のモチベーションは一気に上がったという。しかし、そのモチベーションの行く先は勉強に対してではなかった。
専門学校の友達と遊ぶ事に対してである。そこから、「サークル須田」がスタートした。春になれば、花見やボートを漕ぎに仲間と遊びに行く。夏になれば海に、冬になれば暖かいところで飲み食い・・・。彼の遊びに対するモチベーションは上がる一方であった。結局、その1年は遊び呆けていたという。
そうして、ほぼ無勉強に近い状態で短答式試験に臨むが、案の定18点で不合格である。

科目合格制!?
しかし、彼はこの結果で恐ろしいほどの自信をつけた。ほとんど無勉強で18点なら、会計士試験など余裕だ、という自信である。
ここから、彼は、勉強に対して前向きになる。須田氏の勉強方法は、ずばり1年1科目計画である。科目合格制が導入されていない当時にも関わらす、1年1科目計画という通常考えられないやり方だ。

このやり方に変えた後、1年ごとに1科目ずつ成績は上がり、5年後、短答試験を突破したのである。しかし、彼は大きな問題を見逃していた。そう、短答式後に待ち構える最後の難関たる論文式試験はあと2科目あるのである。残りの2科目がほぼノータッチだった彼は、敢え無く論文式にて敗退。

いざ、7科目勉強
翌年、反省した彼は、受験生活始まって以来、初めて7科目同時に勉強する。そして、無事、栄光を勝ち取ったのである。  

― 長時間にわたるインタビューの最後に、「なぜ、公認会計士を目指そうと思ったのですか?」と、私は質問した。3分ほど悩んで出た回答は「なんでだろうなあ・・・」だった。楽天家という彼を象徴するにふさわしい言葉に私は爆笑した。

(文責:橋本純也)

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